ローズウィンドウ「聖なる光のメッセージ」中山真季

ローズウィンドウ作品制作にあたり、ローズウィンドウ図案・ローズウィンドウ配色の本質的な考え方について説明しています。

本質の理解(ローズウィンドウと重ね切り絵)

ローズウィンドウ作品 「螺鈿細工のジュエリーBOX」

地球の青、エーゲ海の青、大空の青――
青一つとってもどれも違いますし表情も違います。螺鈿の青は神秘的であり魅惑的です。
青にも様々なイメージがあります。

しかしそんな青は約27色のローズウィンドウ用紙にはありません。
ローズウィンドウでどのように表現するでしょうか?

デザインや形だけなら切り絵のように形をくり抜いて色を当て込みます。紙も3枚あれば充分です。
しかしさらに探求すると作品にいろんな色魔法を仕掛けることができるようになります。
言うは簡単ですがその魔法使いは修行が必要になります。色を表現するアート、これこそがローズウィンドウです。

以前ネットで見かけた「女性のドレスが何色に見えますか?青と黒?それとも白と金?」の話題がありました。
人は脳内で勝手に色補正をかけてしまいます。人の眼の色認識はそのようなものなのです。同じ色でも周囲の環境で違う色に見えてしまうのです。
人は波長の短い青系から波長の長い赤系まで物理的に受け取ってはいず、デザインや周囲の色の環境で大きく影響を受けています。
こういったことも作品に色魔法を仕掛ける要素になります。

色魔法を仕掛けるヒントは、縁辺対比・心理補正対比・色相対比・明度対比・彩度対比です。さらにそれに色の恒常性を利用してデザイン、グラデーションなど施します。
それらを使うと図案枚数が増えていきます。
誰もが簡単には出来ませんが作家ならその意識を持つ事が大事です。

話は変わって、過去に某教室でカットした紙を半分くらいズラして貼る方がいました。
ズラす理由を尋ねるとその方もよくわからないままそうしているようでした。

幼児教育の教材にトランスパレントというものがあります。折り紙に近いものですが、その紙を基本的幾何学図形に折ったり切ったりしてズラして窓に貼りつけたりもします。
当然、ズラした部分と重ねた部分には半分の濃度の濃淡が現れます。
幼児はその光と色、そして図形がなぜこのような模様になっていくかを興味を示します。これは幼児期に色、光、幾何学図形に関心をもたせる優れた教材です。

また重ね切り絵も同じ形に切った2枚の色用紙をズラして重ねるというものがあります。

※写真は日本画家・紙造形作家・佐藤蕗野著「かさねて楽しむ万華鏡切り絵」より引用。  ローズウィンドウ用紙を使った重ね切り絵

では、ローズウィンドウにズラすというのはどうでしょう?
ローズウィンドウの世界に貼る時点でズラすというのはありません。
なぜなら、制作者が明確な意図を持ってズラす事で色のコントラストを出す場合は「図案の段階」でズレを入れるからです。貼る段階でズラすことは、なんとなくボヤしたいという程度で図案を無視するのと同じことなのです。

テレビ画面を二重にしてボケてみるようなものです。
最高のローズウィンドウは逆に高画素のハイビジョン作品なのです。だから、ローズウィンドウ作家は作成で少しでもズレがあると嘆き悲しむのです。
作品に試行錯誤は必要ですが、たえずその意味を考える必要があります。

 

本質の理解(ローズウィンドウと重ね切り絵)

ローズウィンドウ作品 「聖ヤコブ大聖堂の薔薇窓」

ローズウィンドウの美しさの魅力とは「幾何学の比率や法則のように秩序、規則性、対象性」です。
ローズウィンドウの図案にも様々なルールや技法、お約束ごとがあります。
それらを踏まえて初めて自由な表現ができるようになるのです。
このとき使用している自由の意味は「自分らしい」表現ということです。

図案は建物でいう設計図にあたります。外観ではわからない緻密な計算で内部構造が成り立っています。
例えば家を建築するとき、細かく寸法が記された設計図があると思います。何かを作りだすときには必ず土台となる基礎があるのです。それをなくして飛び越えて自由な表現をしようとする人がいます。
このとき使用している自由の意味は「テキトウ」な表現ということです。

作家はまず対象のモデルやイメージを具現化するため図案を作ります。

本質を理解していない状態のローズウィンドウ作家は「ローズウィンドウ」と「重ね切り絵」の区別を認識できていないことが往々にしてあります。

※写真は日本画家・紙造形作家・佐藤蕗野著「かさねて楽しむ万華鏡切り絵」より引用。  ローズウィンドウ用紙を使った重ね切り絵

デザインや形をどう表現するか?こう考えた段階でこれは切り絵です。切り絵は光の明暗で「形」を表現するアートです。
ローズウィンドウは光の明暗で「色」を表現するアートです。形の中に色があるのではなくローズウィンドウは色が形づくっているのです。なのでローズウィンドウは色用紙の枚数を増やすことが可能です。それだけ様々な色を生み出し、深みや厚みや複雑性を表現するのです。
色用紙6枚以上になると、それだけすべての色を生かしすべてが1つに(調和に)なる図案を計算して制作するため、非常に高度になります。

「表現する」とは簡単なことかもしれません。
しかしそこにはその制作者がどこまで本質を探究しているか?色の性質を理解し扱えるのか?なども加味されるのです。さらにその制作者の思考パターンや意識レベルまで垣間見えます。
なぜなら作品は自分の意識を具現化したものだからです。

 

霊性進化と神聖幾何学

ローズウィンドウ作品 「大天使メタトロンのイメージより」

私たちは地球で果たす使命や目的が皆それぞれにあって、人間は何のために生きるのか、人生とは何なのかという意味もそこにヒントがあるのではないかと思っています。

現在は昔と比べると随分恵まれた豊かな環境になりました。
しかしながら人々の心は不安に苛まれ、どこか欠乏感がある。先行きが見えない恐怖があるのに今を生きようとせずに先ばかり急いでいる。
混沌とした世の中に私たちはますます閉塞的になっていく。

何か外部のものに拠り所を求めても安心という保証はありません。
これからよりいっそう必要性が強くなったものとは、「自己と向き合う」これに尽きると私は感じています。

自分の意識で善にも悪にも選択によってどちらにも舵を切ることができます。
素晴らしい人生を切り開くこともできれば、地獄に自らを突き落すことだってできる。
つねに道標は自分なのです。

私はローズウィンドウと離れた数年があります。
当時の作品よりもっと人を感動させるローズウィンドウが創りたいと思いました。
しかし作品は自分を映す鏡です。
自分の心を高め、魂を磨かないと今よりもエネルギーの高い作品を産み出せないだろうと思いました。

自分が苦手意識と向き合っているのか?本当に真実なのか?
自分の闇の部分と向き合っているのか?本当に真実なのか?
本当は何を求めているんだろうか
自分を欺いていないだろうか。自分を大事にしているだろうか
他人に対して誠実でいられただろうか

自分と向き合い問い続け、それを明らかにしてきました。
もちろん終わりはありません。地球上で生きている限り続く修行だと思っています。

自分の力だけでは限界もあります。
地上で関わってきた方や故郷からサポートをもらって今があるということもまた、忘れてはならないことです。

私たちは何気ないうちに日常で誰かを助け助けられ、気づきを与え与えられ、そしてインスピレーションやメッセージをもらい、ちゃんとそれぞれが人生という流れに乗って向かうべき方向に進んでいるのだと思います。
私のローズウィンドウも誰かの意識に役立つことができればこれほど嬉しいことはありません。

「大天使メタトロン

※大天使メタトロン古代文明で創造過程における神の右腕であり、神・宇宙意識と信じられていました。神聖幾何学を説明する科学的な意味は、本質的に無限に続き裁断できない真理です。その意味するところはすべてがユニティ、ハーモニー、ワンネスの中に存在するということです。いかなる生命もそのことを知らないと、自然はその生命を壊して自然法則に一致する新しい生命形態を生み出します。
 メタロトンキューブは古代文化や宗教で歪められることなく伝えられました。それはフラワー・オブ・ライフ、生命の木、黄金比、黄金螺旋、ファイ、フィナボッチ、4面体、6面体、8面体、12面体などの神聖幾何学によって構成されています。

 

美と平穏の探求

ローズウインドウ制作

ローズウィンドウとの時間は自己セラピーというスタンスは今でも変わっていません。
自分をさらによく知るために内へ内へ、闇へと入っていきます。

人は周囲の人間関係、社会の影響、世間体、家庭環境、目まぐるしい情報などに取り囲まれながら歳を重ねていくうちにいろんな感情が積もっていってしまうことを忘れがちです。
自分の感情を抑圧してしまったり、何も見ないようにして自分の感情を誤魔化したり、あるいはもう感情自体感じないように麻痺させてしまう人もいるかもしれません。

向き合うということが真実であると思います。
自分の弱さ、恐れ、自分の感じていることすべてと向き合うことです。
それは悲劇的になる事ではありません。ただ受け入れるのです。
人と戦って自分が優越感になったり自分を正当化させることで真実を遠ざけます。
ときとして向き合うことは辛いこともあり、進んで感じることをする人は多くないかもしれません。
私は自分の恐れから目を背けたくないからいつもワークすることが習慣になっていきました。

自身のことがわからなければ人のことなんてわからないし、人にアドバイスも出来ないし癒すこともできない。
他人を癒そうとすることが既にエゴなのかもしれないけど
自身がどんどん浄化されていったとき人の心の葛藤や傷が分かってしまうことがあります。
分かったとしてもその人にとって人生の課題なのかもしれないのであえて言わないけれど、少しでも気づきを必要としているなら一言伝えたりすることがあります。

人の精神面に働きかけることが出来るのはわずかなことです。
本当に大切なのは自分で自分を癒すということが一番大きな変化をもたらすのだと思います。
自分が気づかずにいたその感情を受け入れはじめると、本当の本来の自分へと回帰していくようなそんな風に感じます。

自分の闇に圧倒されてもうどうしようもないときこそ私はローズウィンドウが必要でした。
無意識に癒されていくこともあるのです。
自分自身の中心を思い出させてくれる。そして自己成長となる道標なのかもしれません。
そして美しいものは私たちの心を自然と平穏にしてくれる。
それが哀しい時も苦しい時も
美しいもの――それが自然であれ建造物や作品であれ、眺めているうちにそんな感情がちっぽけに思えてきて気づいたら心の波が穏やかになっていたりするものです。

 

ローズウィンドウでトリックアート

ローズウィンドウ作品 「女神と悪魔~arabesque~」

アラベスク模様を生かしたトリックアートです。
よく見ていただくと、怒る悪魔と笑う女神が8つ並んでいるのがわかるでしょうか。
人間らしい感情の「喜」「怒」どちらも興奮した状態を赤い顔で表しています。

昔からヨーロッパでは円は宇宙的なものを象徴する図形としてさまざまな図像に使われています。
薔薇窓は、そのデザインそのものが、形・色ともに徹底的に計算され洗練され神的なものにより貫かれた宇宙の秩序を暗示するように作られているようです。

長い歳月を経て培われてきた人々の霊的な世界観が反映された薔薇窓を見ると、昔の人々の霊的精神的高さに感銘を受けざるを得ません。
現代は簡便化が主流になるにつれて、美というものを気軽に手軽に生み出せるようになり触れ合うようになりました。
ただ心に響く深みや厚みは時代とともに薄れているような、美しさとは芸術とは何か?を探究するようになりました。
ローズウィンドウで本物の薔薇窓を表現することはなかなか難しいですが、自分なりの表現を追求してきました。

幾何学は宇宙の真理を表し二元性を超越するという意味があります。
ただそれを言葉のみならず自分自身で会得することが大事だと思い、自己探求に励む日々です。
自分が白に極端に傾けば、黒となる事態が突然起こり受け入れなければならなくなったり
男性性が強すぎて女性性の部分が欠落していたり
顕在意識に従った行動が潜在意識とは正反対で葛藤に陥ったり

あらゆる場面でバランスをとることは本当に難しいことと思いました。
それが自然にバランスがとれるようになることが一番望ましいのかもしれません。
そんな完璧な人間はなかなかいないでしょうし、人生のなかで進化に至る過程はわずかかもしれません。
しかし自身の変化とともに作品も変化してきたように感じています。